1995年の今朝(1月17日)は、大きな揺れで目が覚めました。
気象庁は当初「平成7年兵庫県南部地震」と命名しました。
しかし政府は、災害規模が特に大きいことに加えて、復旧・復興施策を推進する上で統一的な名称が必要となると考えました。
その結果、平成7年2月14日に災害名を「阪神淡路大震災」と呼称することを閣議口頭了解しました。
この震災を知らない世代も増えましたが、風化させないために記します。
私は当時、ある会社の代表を務めていました。
全国規模の企業でしたから、その日は年間表彰式に参加するため東京へ向かう予定でした。
こちらからは、予定通りに会場となる都内のホテルに到着しました。
大きなホテルで、式典後の懇親会には大物演歌歌手2名も招待されていました。
しかし、その広い会場内には空席が目立ちました。
やはり関西方面からの出席予定者は、参加することが出来ませんでした。
地震直後、各マスコミから「大地震に関する情報」が飛び交っていました。
発生は午前5時46分、震源は淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16km、マグニチュード7.3
各地の震度
震度7:神戸市須磨区、長田区、兵庫区、中央区、灘区、東灘区、芦屋区、西宮市や淡路島など
震度6:神戸、洲本など
震度5:豊岡、彦根、京都など
その他の府県各地でも、震度1~4の揺れがありました。
諏訪市は、震度3との報道がありました。
人的被害
死者:6434名、行方不明者:3名、負傷者:43,792名
施設関係等被害
全壊:約10万5,000棟、半壊:約14万4,000棟
交通被害
JR西日本等合計13社において不通、高速道路等27路線36区間について通行止め
ライフライン被害
水道:約123万戸で断水、下水道:8処理場の処理能力に影響、工業用水道:最大時で289社の受水企業で断水
電気:約260万戸で停電、大阪ガス:管内で約86万戸への供給停止
電話:交換設備の障害により約29万戸、家屋の倒壊、ケーブル焼失等で約19万3千件の障害
という、戦後最悪の極めて深刻な被害をもたらしました。
国内外から多くの災害ボランティアの方々が集まり、復興へ向けて動き出しました。
その後も、天災は世界各地で起こっております。
日々の暮らしの中でも、災害に備える気持ちは持ち続けたいものです。
